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21年2月23日〜

●21/2/23「定着しない理由」
小林氏の思想書籍は驚かされし、そのパワーは凄いと感じられた。こんなもの(『戦争論』)が10年も前から出されている事を知らなかった事は迂闊であったが、しかし考えてみればそこに些か問題があるのかも知れなかった。
小林本の功績が多少あるのか、確かに近年は右系情報がネットにも流れ、それなりにネット右翼的な世界が存在する事はやっと調査で理解できてきたが、しかしやはり一般メディアは左傾であり、それも益々酷くなっている様な気もする。『戦争論』がベストセラーになったという割にはそれほどメディア的には影響少なく、それで今回の田母神問題の体たらくである。
なぜそうなのかという事も鑑みるに、『戦争論』は中々の業績ではあり、インパクトはそれなりにある本であるとは我も思うが、しかしやや厳しく見ると論が粗い部分が多く、明らかな間違いもあり、また些か強引な所も。この様な部分があるが為に、やはりたかが漫画と蔑視され、よって大きな影響力を持つことが出来ていないのでなかろうか。
漫画であろうと夫れが「本当の本当」「真実の真実」であるならば年配の者もそれなりに敬意を払って論じるのではなかろうか。
いや、勿論前述した様に小林本の主張の結論的な部分は我も大体は同意見である。とはいうもののやはり論が粗い。

 

●「脱戦争論」
昨日『脱戦争論』をざっと読んだのだが、この内容に対しては余り述べる部分が少なく、単なる捉え方の差異、また歴史観の差異、考え方の差異、思想の差異、色々な考え方があって良いと思うのであり、特に同書も否定はしない。ただ我の歴史観、考え方は『脱戦争論』の立場ではなく、やはり小林本の歴史観に近く、この方が妥当であり、大体は小林論正しいと感じられる訳である。
ただ唯一『脱戦争論』が「南京問題」の間違いを指摘しており、この部分は総てではないが、賛成できる部分があったのではないかと思う。
小林本の論を順にみてゆくと、「従軍慰安婦問題」を論じていた時は、割合妥当な論の展開であり、真実追求の良い業績であったかと思う。しかし「南京問題」の論説はかなり論が粗くなり、少し問題である。
その象徴の一つである「百人斬り」解説はかなり杜撰である。ただこれは小林氏論のみならず、なぜか多くの論説書が杜撰であり、それを小林本も踏襲してしまっている様に感じられる。

 

●「百人斬り問題」1
一つごっちゃにしている事は先ず、百人斬りが戦闘でやられてたものか、捕虜処刑に用いたがごっちゃになっている。そもそも新聞記事通りであるならば戦闘時の戦果であり、全く戦争犯罪にはならない筈であり、それで処刑されるとは思えない。
この点、昭和五十年代になって本多氏当たりが「捕虜処刑論」を称えだした様な論もあるが、しかし処刑された時の遺書に「捕虜非戦闘民を殺害したる事なし」というような論を遺しているわけであるから、これは当時において、つまり既に中国は「捕虜などの処刑」を問題視していた事が分かり、新聞記事がデマであると捉えている事になる。
だから我も新聞記事の様な事は武術研究家の立場としてもデマは間違いないと思う。日本の古伝武術の極意を尽くしても銃砲の発達した戦いにおいてその様な働きが出来るとは些か考えにくく、ましてや殆ど古伝武術を知らなかったと思われるの御二方には到底無理である。
つまり二人は捕虜殺害で裁かれたわけであり、基本的には新聞記事は関係ない。いや全く関係ないのではなく、そこから疑られてそういう論になったかと思うが、その意味では新聞記事がデマだといっても詮ない話である。

 

●「百人斬り問題」2
それでは次の段階として両人がその様な捕虜斬首処刑をしたかであるが、これは勿論分からない。新聞記事はそうはいっていないのだから。
少し気になるのは遺書では「捕虜非戦闘員を虐殺していない」「俘虜市民を殺害していな」という様な事を書かれており、これを逆にみると「捕虜は殺した」もしくは「捕虜非戦闘員を殺したが、即殺したのであって、虐殺ではない」という読み方が出来ないわけではない。
南京問題の研究では少なくとも捕虜(国際法上の捕虜とは言えないという論もあるが)をある程度多数殺害した事は事実とされており、となると両人がそれに関わった可能性はないとは言えないかも知れない。ただ日本刀で斬首したかどうかは分からない。
総ての事は断言は出来ず、多少の後世の伝聞証拠もあるようではあるが、しかし余りにも時間がたちすぎており、仮令証人の証言があるとしても現時点では曖昧にならざるえず、正否どちらにしても証拠能力に乏しいように思われる。

 

●「斬首」
捕虜殺害は多く銃砲、機関銃などを以てなされたと言われるが、日本刀の斬首の例も実際にあったように我には感じられる。
そして日本兵が正に斬首する為に刀を構えた瞬間の写真なども実際何枚かある様である。小林本ではそれを偽写真と断じているが、しかしその根拠は非常に曖昧であるように思われる。特に決定的な「否」の証拠がない以上、「捕虜殺害」の事実があり、斬首の為の日本刀がある以上、ある程度の(どの程度行われたかは分からない……というより、これが最もこれからこそ研究しなければないならない部分である)、斬首が行われたいう、実際のその証拠写真の可能性ありとして捉えるべきであり、検討すべきと思われる。そして研究して「否」となればそれもそれなりの業績である。

 

●「二枚の写真」
捕虜殺害に日本刀による斬首もある程度行われたのではなかろうか。これは我の推測である。但し武術史研究家としての知識の上からの推測である。向井、野田両氏がそれに関わったかどうかは不詳であり、両者の武歴から考えると我は余り関わっていない可能性の方が高いのではないかと感じる(これは分からない証拠が曖昧で僅少すぎる。裁判官でも迷うだろう)。
両者は日本刀を引っさげて戦場に向かったが、特に居合道や試し斬り系の鍛錬を積んでいたというような伝聞はない。
しかしながら両人はともかく当時の軍人にはある程度居合道の鍛錬を積み、試し斬りなどをかなりこなしていた軍人もある程度いたと考えられる(戸山学校に居合術の研究班があったわけなのだから、当時の軍人もある程度嗜みのある者もあったと考えられる)。
ただ当時の武術は本当に堕落し、居合と称しながら古典形に含まれた深い教えは失伝し、初傳の素振りと試し斬りゴッコに墮していた系統が少なからずあったという事である。
その一つの証拠として斬首場面の二枚の写真が著名である。
その二枚の写真を取り敢えず「真」とし、それを古伝武術的に解析すると、一枚は神伝流系の「順刀」の形、残りは直伝流系の「介錯」の形と判定できる。直伝流系「介錯」の形は処刑斬首のものではなく、それに無理に持ちいるとやや角度的にも遣いにくいが、しかしやはり直伝流系を学んだ者であるならばなるべく形に添ったスタイルで事を運ぼうとするだろうと推測されるのである。
いや、勿論必ずしも断定出来る事ではない。厳しくいえば古典形とはやや身勢の差異、手形、所作などの微細な差異もある。ただ大体は同系であり、「介錯」形にみえる写真の斬り手は無双直伝英信流系を若干なりとも学んだ者ではなかろうか(何度もいうように推測であり、断言はしない)。
現在無双直伝英信流のある系では「試し斬りをすれば即破門」というような厳しい流規を設けている団体もある。それは一面この様な事実を捉えての事であるようにも感じられるのであり、もしそうだとするならばこれは立派なことと我は思う。

 

●21/2/25「小林本の論の杜撰」
『南京大虐殺否定論の13のウソ』を昨日ざっと読んだ所であり、小林本やその他否定論者本と比べると、先ずは結論的にはやはり否定論派の方が大体は妥当で正しい様に感じられる。
ただやはりここも小林本の杜撰さが残っている事が同書によっても浮かび上がっている様に思われる。
小林本の『南京大虐殺否定論』ストーリーには日本軍が捕虜処刑はある程度していたという観念が少し抜けており、これでは肯定論者の論難にあった時に対応出来にくい様にも思われる。
何度もいう様にたといそうであったとしてもこれは致し方なかったという様な捉え方もあり、やはり結論的には南京攻略、そしてひいては「大東亜戦争」は大体肯定的に捉えるべきであると我は思う。
しかし何故に南京において、ややグレーな部分が残ったのかが問題であり、夫れまでの日本軍がみせたグレイトにして立派な部分が余り顕れていない様に感じられ、やはり日本軍の劣化が感じられるという感じもある。一面それは中華軍の質の悪さの問題でたといあるにしても。
小林本はこれでは一種のプロバガンダ本に過ぎないという感じが残る。これがいま一つ力がない理由だろう。いま少しちゃんとした論説にての構成をお願いしたいとは思うのである。

 

へ●21/2/27「斬首写真再考」
南京事件問題は研究書籍が多すぎ、何とも深くまでは研究のしようがない。仕方がないので我の専門範囲での考察をいま少し進めたい。
残っている日本兵により斬首写真と言われるものについて既に少し考察した。一枚は無双直伝英信流系の「介錯」、もう一枚は夢想神伝流系の「順刀」に近いと述べた。
しかしよくよくみると無双直伝英信流「介錯」とはやはり身勢が違う様である。そして既に指摘したように英信流系「介錯」は斬首処刑には角度的に余り向かない。何よりも写真をみると被処刑者の位置、角度との整合性がなく、確かに厳しい写真である様に感じられる。断言は出来ないが、何方かといえばこれは偽写真の可能性の方が高い様に感じられる。
という事は中華国民党のプロパガンダの為のやらせ写真という事になるが、となるとこの斬り手は中国人という事になる。ここで一つ考えつく事は日本刀を遣いながらも中国武術には諸手柄遣いの刀の観念が殆どなく、片手遣いが主体となるため、この様なスタイルをとった可能性である。それが偶然無双直伝英信流「介錯」と類似のスタイルになったのかも知れない。
断言はしないが、やられ役の者との角度との違和感はかなりあり、偽写真説の可能性はかなり高いと考える。

 

●「神伝流の手之内」
次に今一枚の神伝流系の「順刀」の方であるが、これは「眞」の可能性はある程度あると感じる。特に偽写真という絶対証拠は我には発見できない。夏服であること、影の不自然さなどを指摘される事が多い写真ではあるが、そのレベルでは偽とは必ずしも断言できない様に思う。
そして刀を八相に構えて、左足前であること。これは夢想神伝流「順刀」のスタイルにかなり近い。中国武術には余り八相的な構えはないのではなかろうか。そして何よりも重大なのが、柄の握り方であり、両拳を比較的近づけたこの手之内は他の古典日本居合、日本剣術では余り見られない、日本において極近代的に作られた居合道としての神伝流の特徴であり、この点を鑑みるとかなり「眞」の可能性がある程度あるのではなかろうか。当時の日本兵の居合術の基本となったのは神伝流系であり、ここに一つの可能性を感じる。
勿論これも断言は出来ないが、この斬首スタイルは中国人にはやや取りにくい身遣いの様に感じられる。中国人が日本居合道の写真などを見て真似た可能性はあるのかも知れないのだが、全体の大体のスタイルは真似れても細かい手之内までは氣が回らないのではなかろうか?

 

●「斬首処刑は日本の伝統」
百人斬り競争の向井氏、野田氏が斬首処刑していたかどうかは史料なく不詳である。ただやっていたとしてもそれは別に恥ずかしい事でも異常なことではない。便衣兵捕虜の処置の為に必要な軍事行動として行っていたとしても不思議ではなく、彼らの遺書に偽りはない。しかし地位とキャラクターとしてはやっていなかった様にも感じられる。
寧ろ両人とは別に居合の手の利いた者、巻藁斬りマニアはいた可能性があり、そのようなものが捕虜処刑をある程度なしていた可能性があるのではないかと感じられる。やや前近代的な話ではあるが、しかしそれをいえば当時の近代戦争に骨董武器、日本刀などを持ってゆく必要性の問題になる。当時の兵隊が全く遣わない重たい武器をわざわざ持ってゆく筈はないのでなかろうか。
実際日本刀は白兵戦にある程度活躍したし、また捕虜の処刑にはかなり便利な道具であったのではなかろうか。何よりも銃弾は不要であるし、確実性もある。そして銃殺よりも即死性も高く、決して残虐な処刑法ではなく、日本の伝統的な処刑法である事を知らねばならない。

 

●「当時の日本兵への信頼」
去年後半におこった田母神論文問題から、本年最初は小林本に初めて触れて、それを通じて、興味を覚えて少し「南京大虐殺」問題の肯定派、否定派の書籍をいくらか読んでみたが、現時点での判断では否定派の方が大体は正しい主張の様に感じられる。便衣兵の処刑を違法ならずと考えるならば(この正否はやや微妙であるが)、確かに虐殺は殆どゼロに近く、幻派が大体は正しく、南京攻略は正当な戦闘であったと解釈される。
日本兵の劣化により必要以上の処刑があった可能性を武術の劣化という立場から我は少し感じるが、しかしたといそうであったとしても、世界の他の軍隊の実態を鑑みると、その比較上の立場からは、大体は当時の日本兵は(かなり劣化していたとしても、それでもやはり)かなり立派であり、南京においても何とか立派に勇猛に、どこの国の軍隊よりも遥かに正々堂々と闘っていたと考えたい。当時の日本兵をやはりある程度信頼したいと思うのである。

 

●21/2/28「つけ込まれる隙」
やはり南京問題は中華国民党の仕組んだ罠であり捏造ではないかと感じられる。日本人の多少の犯罪を針小棒大に言い立て、また自己の犯罪を逆説的に日本兵に被せて冤罪を言い立てた。ただ南京陥落時のみにこの様なトリックが用いられたと言う事も問題であり、そこには国民党につけ込まれる隙の様なものがあったのではなかろうか。
古典武術を識らず近代スポーツ武道の知識のみで日本刀を所持、振り回し、試し斬りをレジャーとして捉え、また国民自体がチャンバラ武勇伝に狂喜していたと言う時代背景。戦意高揚の意味合いは分かるが、確かに百人斬り武勇伝は嘘なのだから、そこはいま少し武人としての峻厳な態度があるべきであったとは少し感じる。ただ当時の両人にそこまでの要求をなすのは酷であり、両人の処刑時に於ける立派な態度、遺書に現れた潔い心によってそれも完全帳消しであり、寧ろ十二分におつりがあり二人はやはり日本武人の勇士として今日改めて讃美されるべきである。

 

●「冗談の一線」
馬鹿な冗談を飛ばして、きわどい話をして、それが一線を越えてしまって冗談にならず、バツの悪い思いをする事が我にも多くある。特に若いときと酷かった。
兵隊の中には「支那に戦争に言ったらチャイナ女をどさくさに紛れて皆犯して……」等と冗談めかして酒の席で猥談を繰り広げる酒癖の悪い者も多少、いやかなりいたかも知れない。しかしそこは日本人の事であり、いざとなったらそこまで、余りえげつない事ができないが日本人であり、それが日本の国民性だろう。劣悪な外国兵士とはそこがかなり違うわけである。
しかしその様な酒席の下劣な与太話も含めて日本人は大正、昭和に掛けて精神的にある程度劣化していたとは思うのである。

 

●21/3/6「嫉妬」
南京事件は中華の謀略といえばそうなのかのかも知れない。この問題において我も日本側の「つきこまれる隙」について、武術の劣化と言う立場から論じた。これは日本側からみた立場の考察であるが、別の方向からみると別の評価も生まれる。逆にいえば何故ににこの様な謀略が生じたかと言えば日本軍が余りにも立派であった、立派すぎたからであるのかも知れなかった。明治以降の世界情勢の中で日本軍のみは確かに独特であったとは思うのである。時は戦国嵐の時代……正に国取り合戦の大暴風雨が吹き荒れていた時代、近代化において巨大な戦力を保有した国が持たざる国を攻め、他の国を植民化し他国民を奴隷化していた時代。それに東洋において唯一対抗し、大儀のある戦いをしたのが日本軍であった。かくした時代において、日本のみが礼節を守った最強軍隊を結成した。それは他国の軍隊とは全く異質の正に正義の軍隊である。軍律の厳しさは世界最高であり、また勇猛さも天下一であり、明治以降本当に立派な戦いをなしてきたのが日本軍である……と我は思う。このような立派な軍に対して自分らの国の悪徳な行為に負い目を心の底では感じながら逆に日本軍に対して心の劣等感を覚え、何としても日本軍を悪のレッテルをはらんとしたのがアメリカや中国などであったと思われるのである。

 

●「沖縄集団自決問題に想う」
沖縄集団自決問題がチャンネル桜で大分議論されており、我も大体真実がみえてきて、有り難い想いである。
大体はチャンネル桜側の主張が正しいのではなかろうか。
色々反対派論もネット映像で大分聞いてみたが、やはり議論のすり替えを感じる。
つまり「強制」と「命令」とごっちゃにしているのではなかろうか。死ねと命じられて死ぬ人間は余りいないが、もしいたとするとこれは別の意味で凄い事であり、正に「兵民一体」であったと言うことになる。
命令によって死ぬのと言うのと、「強制」とはかなり、千里、万里の隔たりがあるだろう。だから「強制」と言うのはつまり子供を人質にしてでも自決しなければ子供を殺すぞとでも脅したかの様な譬えであり、その様な事があったとは流石に考えにくい。
高い立場で考えると実際的には軍の命令はなかったと思うが、もしあったとしても、それで自決する事もまた素晴らしい事なのではなかろう。
「強制」と言う事の内容は不明瞭であるが、何故にややこしい「強制」をせねばならぬのか。実際的に「自決を強制」すると言うのはかなり難しい状況設定であり、どうやったらそんなことが出来るか分からない。と言うよりややこしい事をなさず、邪魔になる市民を皆殺しとした方が早いのではなかろうか。しかし流石に日本軍が沖縄庶民を皆殺しにしたと言う事でもないようである。
現代の沖縄人の話の様子では日本軍が沖縄庶民を騙して死に追いやったと言う謂の様に感じられるが、それならば「軍の命令による強制自決」と言う謂と少しニュアンスが違う様に思われる。だからもしそうならば「軍が騙して自決に追いやる」……と言うような謂にすべきであり、是ならこれでその謂の正否を議論すれば良いと言う事になる。
「軍の命令による強制自決」……と言うだけでは内容が分かりにくく議論がかみ合わないのでないかと思われる。

 

●「沖縄人の心」
それはそれとして何故に沖縄にこの様な事件が起こったかを少し琉球古伝拳法兵器法の継承者、沖縄武術史研究家としての立場から考察してみよう。
沖縄王朝時代の武士は武器(両刀、槍)等を所持し日本的な武術を駆使できたが、一般の民衆は武器を携帯はできず、代わりに素手の拳法や、持ち運びに咎められない民族的武器法(ヌンチャク、トンファー、鎌、棒)などでの護身武術が行われていた。
そしてまた薩摩からの支配の問題があり、その支配下における民間武術が存在し、そこには本土武術には見られない独特の精神文化が形成されていた。
琉球には日本武術では殆ど見られない針の武術の世界がある。これは日本武術の立場からは凡そ考えにくい世界であり、本土武術が専門である我もその真意は長く不詳であった。確かに針を持てば素手での格闘には大いに優位に立てるが、しかしそれではタイマン勝負とは言えないだろう。武器を持つ事を可とするならば日本武術では刀以上の武器を用いれば良いのであり、針の武器が強いといっても刀には到底叶わない。正統なる日本武術に針系の武術がない由縁である。
ただ夫れでは何故に琉球のみにその様な不思議な針武器術が存在するのか。それは支配者である薩摩と支配される側の沖縄、特に沖縄庶民との関係は決して対等ではなかったからなのである。
武器を持たない沖縄庶民、特に婦女子と薩摩武士がタイマンで闘える筈がなく、また闘う必要もない。しかし美しい沖縄の娘に薩摩武士が邪な思いを抱き、襲ってきた時、武器も持たないか弱い娘がどうして対処できるのか。素手で闘える為に琉球には独得の拳法が工夫され、女子も護身術として学ぶ者も多かった。それは現代空手の原型の様なものであったが、しかし現代に空手の様なものを女性が身につけていたとしても、実際的に大の男に襲われた時、児戯な空手技なんぞで対処できるものか。ましてや相手は薩摩の専門軍人(侍)なのである。本来そんなもの最初から闘える筈がない……。しかし實を言えば、その当時の琉球拳法の本質は現代の空手とは全く違った独得のものであった事を知らねばならない。
あらゆる部分に相違点があるが、その最期の最期の秘法として針の技がある。
確かに如何に娘が拳法の拙い技を身につけておったとしても薩摩武士の強力に逆らえる筈なく、忽ち組み敷かれて辱めを受けんとする事は目にみえている。しかしその時こそが實を言えば最期の逆転の勝機の瞬間であり、組み敷かれた娘は髷にさしたるジィファー(琉球簪)を抜き、隙をみせた薩摩武士の急所を一突きして一瞬にして生命を奪う事が出来る。その様な事が出来る秘法が琉球古伝拳法の深い所で伝えられていた。
その方法論は正に秘法であり、我も流石に此処では詳説はしないが、かなり奥深い秘術であり、確かに大の男の生命を一瞬に奪う事は可能である。
だがこれは一種の忍び秘武器による奇襲殺害であり、タイマン勝負ではない。勿論女子の護身の為の武器ではあり、自己の操の護る為の自己防衛の戦いであり、これは当然と言えば当然の戦い方である。しかしながら本土であるならばまた別として、当時の琉球と薩摩の関係から言えば決してそれで済むことではない。
よってジィファーには裏の遣い方があり、針を刺す部分の反対には匙がついており、それは、それに毒を盛って操を護った女性自身が飲んで自決する為のものであったのである。
何故ならばこれは当然の事であり、支配者たる薩摩武士を殺害したとするならばその殺害した娘は勿論、娘の家族、一族郎党に及ぶまで苛酷なお咎めがあるに違いないからなのである。これは当時としては当たり前の事である。何故ならば操防衛といっても総ては闇の中で行われた事であり、外面的に見れば支配者たる薩摩武士が不意打ちされて娘に殺害されたと言う事実が残るのみであるからである。
「いや、もし夫れならばその娘が自決したとしても同じではないか、寧ろ自己の死体が残るので、犯人が忽ち分かり、娘の家族にもお咎めがあるのではないか」とここで疑問の声が上がるかも知れない。
……いや、それは決してそうではないと我は思う。我の受けた流儀の口傳にその事も含まれているが、これはまた当たり前の事である。
その様な事件を裁くのがたとい薩摩側の武士たちであるにしても状況は明白である。仲間に不埒な者が出て、琉球の娘を犯さんとして、褌を取った瞬間に愚かにも反撃されて殺害されたのである。
もし加害者がそこにいなかったとしたら、単にテロで殺された事と同じ状況であり、なんとしてもその犯人を追求するであろうけれども、操を護った娘は健気にもその後で見事に自決しており、その現場を見ればそこで何が起こったかは一目瞭然であろう。
検死した誇り高い薩摩武士がそれ以上の追求をする筈がない。確かに沖縄の支配者たる立場はあったが、薩摩武士も曲がりなりにも日本武士(やまともののふ)の端くれであり、豪気で荒い部分もあったが、モノノアハレの全く分からぬ鬼なんぞでは決してない。娘の家族には何のお咎めもなく、殺害された馬鹿な武士は仲間うちには軽蔑されつつも、何とか病死くらいで処理される事になる……。
死んだ娘の親の悔しさは残るが、襲った武士を天晴れ打ち取った事でかなりそれも心情的には大分緩和されただろう。娘の潔さによって、犠牲はあったが、何とか両方丸く治まる事となり、その事件はまた薩摩の不埒者をかなり抑制する貴き捧げにはなったわけである。
これは琉球の古典武術の伝わる奥口傳であり、独得の哲理であった。
南海の一小島国としての琉球は唐や薩摩から長く支配を受けており、属国としての哲理と知恵が身に染みついていたと考える事が出来る。
本土の武士たちとは少し立場は違うがその奥の哲理は同質のものであり、琉球は庶民と雖も本土武士の同じレベル、いやそれ以上の潔さを皆保有していたと言う事なのである。
本土武士は刀を束さみ、いざとなったら切腹できるが、琉球庶民が多く用いたのは毒薬である。古伝ではハブ毒が主体であったと言うが、フグ毒やトリカブト、そして梅干しを用いた青酸カリの製造法が武術の口傳として伝えられた(琉球ではハブ毒やフグ毒が主体であり、他のものは何方かと言えば本土忍者系の秘法となる)。
大東亜の最期時、沖縄庶民が多くは毒薬を飲んだり注射して死んだと言う。また海に身投げしたりと言う事もあり、またそれとは別に日本軍人から自決する為に(爆弾、手榴弾などの)武器を請っていた言う事も伝聞としてあるが、武器所持を禁止されきた沖縄庶民としてのある程度当然の発想であったのであろうかとは思うのである。

 

●「素晴らしい兵民一体」
繰り返すが、「沖縄集団自決問題」は最初の前提が曖昧であり、議論がかみ合っていない。
恐らく「命令」はなかったかと思うが、これは個々の例があり、あった所もなかったとは言えない(現代ではどちらかとも証明がかなり困難である)。しかし「命令」があって集団自決したとしたら、これはまた別の意味で素晴らしい。それに唯々諾々としたがう事の出来た沖縄庶民は素晴らしい。正に兵民一体であり、それほど沖縄庶民は本大戦を自己の戦いとして信じ、日本国民として誇りがあったと言えるとは思うのである。
そして譬え命令をした兵士がいたとしても(実際的には我は殆どいなかったと思う)、その兵士が鬼畜と言うわけでは決してない。米国兵の実態はやや曖昧だったが、中国や露国の兵の残酷さは実際の事件を起し著名であり、これらは決して作られた虚報ではない。
その様な事実を喧伝していたのは兵士ではなく、当時の新聞である。これも事実に基づいており、決して虚報ではない。
兵士と庶民では立場がやや違い、兵士は闘って死ねるが、それの出来ない庶民は外国兵に拷問、強姦、虐殺されるより先に自ら命を断つしかなく、楽に死ねる様に毒薬や手流弾を請われて渡す事もあるいはあり得る事かと考える。
この様な実態はあるいはあり得たかも知れなが、これはこれで素晴らしい。
強大な敵に戦いに挑む武士が、自己の妻に「我はこれから戦場に趣、討ち死にする覚悟。いましは敵が襲って来る前に子供と共に身を処す様に」と自決用の懐剣を渡したとすれば、妻は即座に「はい」と答えたと言う事に過ぎない。これは是で素晴らしいが、しかしそのような会話があってもなくとも実はどうでも良いことなのである。心さえ一体ならば結論としては同じ事が起こるであろうし、言葉などは全く必要なく、あってもなくともどうでも良い。
それぞれの道をそれぞれ全うしたと言うだけの事である。
この様な実態を「強制」という内容の曖昧な言葉を用いて、「日本兵による皆殺し」的なイメージで云々する所が問題であり、 この点をはっきりさせずして議論しても畢竟無意味である。

 

●「個々の争い」
現在行われている訴訟は梅澤少佐などの「自決命令」を出したかとどうかであるようであり、これは本人が未だ生存されておられるので、個々の事実について、確かにこの一点をもって争えば良いのではないかと思う。
ただ全体を通じての「沖縄集団自決問題」としては「強制」として非難する側にその具体的な内容について明らかにさせて、もっと論点を絞って論じなければならないと考える。

 
 
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