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●21年2月9日「田母神論文」問題
昨年「田母神論文」問題がおこり驚かされた。何が驚いたかと言うとやはりマスコミの余りに極端なる偏向ぶりだろう。マスコミの左傾は承知であったが、ここまで酷いとは意外である。
少し気になって田母神論文をネットで検索し読んでみた。確かに細かい事実関係には齟齬もあり、特に言葉の遣い方、完全に定義されていない段階での「侵略」や「植民地」と言う意味合いを用いての論は少しマズイかと思うし、通じてはやや論理矛盾もないとは言えない。言葉足らずの所も感じられる。しかし結論的には大体は正しい認識であり、それほど問題のある内容ではないと我は思う。
我自身は林房雄を読んで育った世代であり、大体は同じような認識であり、何も新しい部分はない。
ただ最後の結論の謂にややクレームをつけると「日本は素晴らしい伝統を持った国であり、………捏造その他をせずとも誇るべき歴史と文化をもっている……云々(記憶による大意)」と言う部分にはやや少し違うといいたい。
「素晴らしい伝統を持った国……」ではなく、既に「素晴らしい伝統を持っていた国……」言う風に認識する。
「捏造、嘘言をなさずして、誇るべき文化、歴史……」ではなく、「捏造」は必要ないかも知れないが、既に日本の貴重な文化や伝統は大きく歪められ、殆ど壊滅状態なのが現状であり、かなりの「復元」をなさねば深い日本文化に触れる事は極めて困難な時代になってしまっている事を、日本の伝統文化、特に武術文化史の研究者として指摘せざるを得ないのである。
また田母神元航空幕僚長の自身の事を少し問題にすると、小林よしのり氏との対談において「戦争なんぞをしていては、週末ゴルフにもいけないし、大吟醸も呑めない……云々」と言うよう発言があり、少しいかがなものかと思ったのである。
人とのつきあいにたまに余人と美味酒を酌み交わす事は社会との関わりをつける為にも必要な部分があり、悪い事ではないと我も思う……しかし週末にゴルフと言うのでは売国奴モリヤとダブルような話であり、正にいかがなものかである。勿論田母神氏が業者とつるんでゴルフをやっているとは流石に思わないが、防衛庁のエライさんが休日にゴルフに興じていると言う事実……。これは流石に大変に情けない状況であると我は思う……。そんなことで日本が本当に防衛できるのか、防衛する氣があるのかと流石に不安にはなるのである。

 

●驚きの思想漫画
去年に田母神論文の出現に驚いて、少し気になってネットで調べてみたが、マスコミの左偏向に驚いていたが、ネットが逆に右系に存外寛大な感じを受け、少し不思議な感じもした。どうも最近はネットの発達により、右系の情報も入り、マスコミの左偏向状態をある程度緩和しているの様にも感じられる。
普段全く漫画など読まないが、それが先般、二十一年正月に何日か神戸に戻り、ホテルにも数日泊まったが、片隅に漫画コーナーがあり、そこで小林よしのり氏の『戦争論』をはじめて読む機会を得た。
これは大分驚いた。内容的には前述した様に我も青年時代から林房雄著書で殆ど承知の事であるが、この様な形で判りやすく、そして情念的に描かれている事に驚かされたのである。我は神戸出身であり、幼い頃から同じく地元出身の宗教家、谷口雅春師の宗教理論や、哲学、また天皇論、政治論等を読んで育った人間であり、よって『戦争論』の内容は当たり前の事である。
しかし同著者は確か以前大分感じの違うギャグ漫画を描いていたように思い、その落差には驚かされたのである。
こんなものが10年も前から出ている事を知らなかった事は迂闊ではあったが、これはうれしい驚きでもある。

 

●問題点
一月中に調子に乗って小林氏の一連の思想漫画を少し他の物も読んでみた。
同氏の論は結論的には大体は賛成できる様に思われるが、しかし総ての総てかと言われると少し?の部分も感じられる。
南京事件や従軍慰安婦問題も中々微妙な部分があり、また歴史的な真実と言うものは中々に掴みがたい。その真実を自己のものにするにはまだまだ多くの資料を蒐集する事から始めて大変な労力が必要であり、現時点では我もそれまでが出来るエネルギーは残っておらず、研究は後進の者にお願いしたい。
現時点での感じでは従軍慰安婦問題は大体殆どでっち上げ。南京事件もかなり厳しいがかなり嘘があるようである。ただ多少の事件はあった様にも思われる。
その事実の正否はともかく、小林氏の論は少し勇み足の部分がある様に感じられ、やはり細かい点には問題があると思われる。この様な部分は我も専門ではないので、何とも言えない部分が多いが、武術史研究家の立場として我の専門の範囲では少し苦言を呈したい部分がある。
全体を通じて二カ所ほど「日本刀は何人も斬れない。五人も斬れば血糊で斬れず、歯零れを生じ、鐔もガタガタになる……云々(記憶による大意)」と言うような論説があったが、この様な日本刀や日本剣術技術に対する認識は如何なものかと思うのであり、こんなことを虐殺(百人斬り等の)否定論の根拠とするのは些か問題である。

 

●「日本刀の切れ味」
「日本刀は二三人しか斬れない……」そんな俗説があるが、そんな馬鹿なことがあるわけがない……ではなく、それは刀……ではなく……いや刀も色々あるのであり、それより先に総ては腕、技術の問題である。確かにどんな名刀も使い手が下手なら一本の腕も斬れないのが当然であり、凡手の一撃の打ち込みに刀は歪み、下手をすれば折れる事があるだろう。日本刀は独特の鍛錬と特殊な造り方により折れず曲がらず良く斬れると言うジレンマを乗り越えた超絶的な金剛刀……と言う逆の論もまたあるが、武術家の立場からいえば「折れて曲がって歯零れする」のが日本刀である。しかし故にこそそれを折れないで、曲がらないで、しかして歯零れせずに敵を殺傷する手之内や技術を編んだのが古典伝統剣術そのものなのである。
本当の古伝剣術の超絶的な技術を用いれば人を殺傷するのは極簡単な事であり、殆ど力もいらず、千人を斬殺しても本物の日本刀であればびくともするものではないのである。ただ旧日本軍の兵隊たちがその様な超絶技術を皆が保有しているとは考えにくい。そこまでの業は流石にないとは思うが、しかしある程度の技術の錬磨と正統な日本刀であれば100人斬りも必ずしも不可能事とは言えないと考える。
ただ勿論だからといって必ずしも100人斬りが絶対の事実と主張しているわけではなく、逆の逆は必ずしも真ならずではあるのだけれど。

 

●21/2/10「劣化」
我の専門は江戸期の文化(武術文化、科学技術文化)であり、どうしても近代の歴史関係は我は些か暗い。ある程度の勉強はいま少しくらいは出来るかと思うが、実際的にはエネルギー、タイム、年齢的には余り余裕がなく、余り真実に近づく事は難しいと思う。
ただ自分の専門の範囲、知る範囲での我の考えを述べて見たいと思うのである。
どうも全体的に田母神氏にしろ小林氏にしろ「日本の伝統……云々」などと言う表現をなしながら、実際的な日本文化、その伝承の実態について余りにも無知と言う感じがする。特に日本の伝統継承の現状についてはややトンチンカンな表現が多いように感じられる。勿論人間と言うものは総ての総てに万能ではあり得ないが、特に武術文化系についての無知がかなり気になるのである……。
一個の三文骨董武術家、そして日本武術史研究家の立場から述べさせて頂ければ日本刀において100人斬りは決してそれほど無理な事ではないと断言できる。
南京において実際日本刀を利用した斬殺、特に捕虜処刑などがどれほど行われたかは我には不勉強で良く分からない。また捕虜処刑は便衣兵の問題もあり、国際法上もその正否は微妙であり、その人数も含めて我も余り確言は出来ない立場である。そしてまたその他の兵士による戦争犯罪(奪略、殺人、強姦など)がどの程度行われたかも資料的に考証できる立場ではなく、これらは歴史問題として歴史的にこれからからの若い研究者、専門家に探求をお願いしたいと思う。
ただこの点においても出来る範囲において、少し武術史研究家の立場からの意見、考えを述べたい。
小林氏は著書で「……日本人はここまで劣化してしまいました……云々」と慨嘆されており、それはその通りであるが、ただ、武術的な立場からいえば武術は戦前からかなり、本当に残念ながら既に相当劣化していたと言う事を知らねばならない。
当時の多くの兵隊は殆ど武術に関しては素人である事は当然であるが、とはいえ戦前の事であるから兵役もあるし、学校教育においても剣道や柔道がある程度行われていた。それは現代のスポーツ剣道、スポーツ柔道よりもかなり遥かに武道的ではあったが、しかし必ずしも古典武術そのものでもなかった。古武道と言われるものも戦前には現在より遥かに多くの流儀が存在し、ある程度行われていたが、既に古武道と雖も多くの流儀がそれぞれかなりの歪みと失伝を抱えていたことを知らねばならない。

 

●「西洋化」
劣化と言う事では武術のみの話では必ずしもなかった。当時の日本軍隊は日本軍隊と雖も基本的には西洋式である。小林氏も日本の軍隊の悪しき因習として上官が下級兵士をやたらと殴ると言うような事を認めているが、下級兵士と雖も本来は皇軍の一員であり、それを必要以上に体罰を加え、殴って傷つけると言うことはとんでもない事であり、江戸期の武士の世界では考えられない事であっただろう。
何故にこのように劣化してしまったか。それはやはり維新以降の急激な西洋化政策の副作用だろう。それが必ずしも×と言うわけではない。そうしなければ日本が維新以降に世界戦国時代に生き残れなかったと言うことであり、致し方なかったかと思うが、余りに過激であり、その為に貴重な日本の伝統が大きく崩れて失われてしまった事は事実である。本来は新しいものを吸収しつつ、古伝も保存するという「プラスアルファ法」が日本の伝統であったが、残念ながらそれが余り上手く行かなかったのである。

 

●「御礼」
少し戦前における武術の歪み、それを通じての日本軍隊の劣化の事を述べた。しかしその様に論じながら、しかしそれも総ては程度の問題でもあり、やはり戦前の日本軍はかなり立派であり、そして結論的には我としては林房雄論と同じく大東亜の戦いは肯定的に考えている。いや、それより先に、戦前軍隊の劣化を論ずる前に、それよりもとにかく御国の為に闘ってくれた戦前の兵隊さんたちに感謝の意を表さなければならないだろう。
何よりも先に「ご苦労さまでした」と申し上ます。

 

●「次の段階」

そしてその後には、真実は真実として日本人は正しい事を見つめなければならない。

仮令一部にしても戦争犯罪的な部分があれば、事実関係をはっきりした上で反省する部分はしなければならないと思う。
前述した様にそれらの事実関係を史料をもって解明するだけの力は我には残念ながらない。
ただ専門の範囲で指摘出来る部分はして置きたいと考えるわけである。

 

●「劣化の本質」
日本は本来は本当にものすごい国である。世界最古の統一王朝であり、驚くべき文化と技術傳を育んで、他国が決して真似の出来ない超絶的な究極の文化と技術を構築した国であり……いやあった。かくした世界最高の文化と独特の技術を育んだ江戸後期のパワーを引き継いで幕末から明治期に掛けては、例えば美術工芸の世界では本当に超絶的な技術が存在し、驚異の名品の数々がかつての名人たちによって造られた。この時期の工芸品は現在では再現不可能と言える超絶的な名品である。しかし維新後の文化の変容は急激であり、多くの職人は転職を余儀なくされ、明治大正に掛けては衰微の一途を辿り、西洋式の大量生産品が幅を効かすようになってゆく。武術の世界は特に酷く明治初期の徹底的なる廃刀令により古伝剣術の道脈の殆どが本当に壊滅してしまったのである。何十年かたって過去の記憶によって大体の形を再現し、また最後の継承者の業の一部を得て、再編成したのが以降の古武道といわれものである。勿論新たなものを導入しても古いものをある程度墨守すると言う習慣も日本にはあり、工芸技術も別の方向に道を求めながらある程度継承され、武術系もスポーツ的な変身をなしながらある程度の古技術は保存され、また万余の流儀の極一部は細糸継承ながらも至誠の人士の努力によって何とか継承された。ただそれは本当に極一部であり、超絶的にして膨大なる武術文化が一挙に百分の一となったのである。
そしてまた明治、大正、昭和とかけてはそれらの古流武術の衰退と堕落の歴史でもある。
変わって西洋的なものがどんどん導入されていった。維新以降の歴史は伝統ある日本が西洋化してゆく悲しい道程でもあったわけである。
恐らくそれを捉えて司馬氏も日本の劣化として定義したのだろう。余り確定的な事は言えないが日本軍の本質もその様な過程の中である程度劣化(西洋化)してしまったいたと言う事ではなかろうか。

 

●21/2/11「軍歌」
我は軍歌などは余り好きでなく、あの単純なメロディと陳腐なセリフはどうも余り良いとは思えない。
もしその中でも例外的なものを上げるとすると「水師営の会見」「戦友」くらいだろうか。両者はそれほど嫌いではなく……ではなく結構好きな方であり、中々に心に響く良い歌かと思う。しかしやはり両者は明治の日露戦争くらいまでの歌であり、この中には当時の軍人の見事な心掛け、心情が現れている。
水師営の会見では「昨日の敵は今日の友」と歌ったし、「戦友」では「軍律厳しい中なれど」と戦弾に倒れた戦友を気遣いながらも友から逆に説得されて、友を見捨て行かねばならなかった様子が歌われている。しかして友は戦死するが、かくして友を助ける事の出来なかった戦争の悲哀が見事に表現されている。
日本軍の軍規は当時においてそこまで厳しいものであったことは事実であるが、しかしそれに直ちに従う事の出来なかった戦場武人の人情も歌われている事が素晴らしい。
しかしこの事は昭和になっては問題となり、軍律墨守の立場からは軍歌として(尤もその本質は最初から軍歌ではなかったのが)歌う事は禁じられたタブーの曲なのである。
大正、昭和の軍歌は例外もあるかも知れないが、私見としてはやはり明治の時代のものと比べると幾分下卑な感じのものが多いように感じられる。
それはやはり日本全般の西洋化が進み日本人、日本軍の劣化と言うものが感じられるのである。
また時代が下るに連れて日本軍も職業軍人のみならずかな民間徴用の兵が多くなった事もあるのではなかろうか。昭和の初めごろ、南京陥落のおりにどのぐらい民間兵がいたのかは我も不勉強で余り知らないのであるが、「昨日の敵は今日の友」と言えるような徳の高い行動や態度がどの程度あったのかどうか……? よもや破れた支那人や支那兵を蔑視するような心や態度が全くなかったのかどうか? その辺にやや不安を覚えない事もないのである。
その不安を高めるいま一つの材料は実際の支那兵の卑劣と低劣さ、また残酷さである。戦闘のきっかけの一つとなった通州事件では本当に支那人の日本民間人に対する拷問と強姦、虐殺事件があったし、また便衣兵などと言ったルール違反の日本兵に対する攻撃もあり、実際多くの日本の戦友が多く不意打ちで殺害されたと言う事実があり、支那人に対する日本人の恨みの心がかなりあったであろう事が想定できるのである。
ただ仮令そうであるにしても勿論中国が捏造する如くの狂気の大虐殺など絶対になかったと我は日本軍を信じてはいるのだけれども。
軍律を破って略奪や強姦を犯した馬鹿者(これは完全に犯罪者である)はともかくとして(これは残念ながら必ずしもゼロとは言えなかったとは思う)、捕虜に対する処刑は、特に便衣兵系における危険分子においてはある程度行われた事は事実なのではなかろうか。
勿論「捕虜の収容所もなく、総て虐殺」などは大嘘であり、ちゃんと捕虜の収容施設もあり、それなりの待遇をなした事も間違いないだろう。そして危険なゲリラ兵その他の処刑はある程度やむ終えない部分があるとは思うのである。

 

●「敦盛」
いたし方ないとは言え、南京陥落時においても明治時代や若しくはそれ以前の日本人の戦の各所にみられた様な、殺伐なる殺戮劇を超えた所のもっと超絶的な戦場美談的なものが今少しみられ、それがいま少し語り継がれても良いのではないかとも感じられるのである。
我は神戸出身だが須磨裏公園には敦盛の墓があり、戦の悲哀、「もののあはれ」を示す墓標となっている。この様な感性はかつての日本人の心の奥に必ずあったものであったが、南京時においてはどうであったかとは思うのである。
南京事件にはまだまだ分からない事が多く、精査すれば、南京占領後の中華人と日本人との心の思いがけずも存外に温かい交流が無数にあった事が判明してゆくのかも知れない。しかし現在は中華の様々な政治的な攻略に大切な部分が暈されており、いま一つはっきりしない事は遺憾である……。

 

●「武術の劣化」
資料なく、確言出来ない事は暫しおいておき、我の専門範囲での指摘をなそう。問題は当時における武術の劣化である。残念ながら当時(昭和12年)においても日本武術は悲しいほど劣化していた。殆どの兵隊は伝統的な古式武術を全く知らず、せいぜいスポーツ式の柔道、剣道あるいは銃剣道、西洋砲術くらいしか錬磨していなかっただろう。例外的に一部の兵士が居合などまでを学んでいたとは思うが残念ながら当時の居合の殆どは江戸期における古典居合そのものではなく、その系脈を引きながらも色々大切な部分が大きく歪み、かなり古典とはかけ離れたものとなっていた事は事実である。
そして居合とは正に名ばかりで、ほんの数本の歪んだ形を伝えながらも、巻藁を斬って楽しむばかりのレジャー的なものに多くが墮していた事は事実である。その様な土壌と風潮の元に戦気高揚の意味合いから「百人斬り競争」的な記事までがあらわれたと考えられるのである。
それが真実であったかどうかは我には分からないが、記事の如くであるとは常識的にもとても信じられない。そしてそれは白刃戦での戦果ではなく、捕虜処刑による斬首処刑の事と言う捉え方があり、それであるならばある程度可能性があるとは感じられるのである。勿論前述した様に仮令そうにしても必要な処刑もあるのであり、致し方ないとは思うのだけれど。
しかし確かに致し方ないことではあるが、武道錬磨の多くがレジャー的な試し斬りごっこに墮し、それを長く続けるうちに「敦盛」の心を失ってしまった者もある程度あったのではなかろうか……?
最低限の処置、必要悪の部分を越えて、些か行き過ぎた処刑までが行われなかったかどうか? 支那人の余りの卑怯さに怒り、また卑劣に殺された戦友を思い、またか弱い老女や婦女子たちを大勢拷問して虐殺した手口……。その様な思いを心に交差させ、しかして、敵城陥落、凱旋における美酒にも酔い、何か行き過ぎた所がどこかにあったのかも……?
そこに我は一抹の不安を確かに覚えもするのである。

 

●「歪み」
居合形も殆どの流儀が最初の初傳部分しか残らなかった。そしてその初傳部分の内容も大きく歪み、例えば居合形にある本来は「介錯」の形が「斬首処刑」の為の形に変わったいる事を大変に遺憾に思うのである。両者の技術は似ている様で刀の振りの角度に差異があり、当時においても古伝「介錯」の形が「斬首処刑」の形に変容してしまっている。
「斬首処刑」の技術は山田朝右衛門が伝えた山田流据物斬術の中などで伝えられたが、これは実際の民間処刑を行う特殊な家のみが伝えたもので、一般の武士が学んだのは当然の事ながら「介錯」の形と技術である。

 

●「斬首と虐殺」
捕虜斬首処刑の行き過ぎの可能性を論じたが、はっきりした事は資料が僅少であり、不詳であり、証拠もなく当時の兵士たちに必要以上の嫌疑を掛ける事は避けるべきとは思う。
そしてまた斬首処刑は見た目は確かに残虐が感じがするが、一瞬にして冥土に送ってしまうもので絞首刑以上に残酷とは必ずしも言えない。当時のおける日本人の良識を信じて必要以上の残酷な処刑や拷問は行われなかったと我は考える。それはその様な事をしたと言う確実な証拠(残虐な殺しをしたと言う証拠)のないことも含めて当時の日本人の人間性に対する信頼でもある。

 

●「ダブルスタンダード」
小林氏の一連の主張で少し変と思う点がもう一点あった。欧米諸国における帝国主義的な侵略思想の根元を欧米の狩猟民族である点に求め、農耕民族である日本との差異を論じており、これは確かにある程度納得できる理論ではあるが、小林氏自身は牛肉が好きと述べており、牛の屠殺場の状況を描写して、それを必要悪としても比較的肯定的に描いており、これは少しダブルスタンダードと言う感じがしないでもない。
勿論前者は歴史的な事実関係を述べており、後者は現代の一般的な肉食文化の真実を解説しているに過ぎないと言う事であるろうかと思うが、しかしトルストイなどは牛の屠殺場の真実をみて、それをやはり残酷と解釈し、そこからより深い思索をなしている事を注目しなければならない。つまり誰しもが必要悪、人間の原罪、あるいは人間のカルマと言う風に解釈し、そこで止まって思考停止してしまったわけでは必ずしもないのである。

 

●「日本武術文化の知識の欠如」
小林氏は福岡と言う、古伝武術のある意味では巣窟に育ちながらその様な出逢いの全くない侭に成長されたようである。しかしこれは全く無理ではなく、特に運が悪かったわけでもなく、極めて当たり前の事である。古伝武術の巣窟といいながら、それは他の都道府県に比べてという事であり、戦後生れの一般の福岡人がその様な超絶的な文化に偶然出逢うような事は万に一つ位の可能性しかなく、余程神縁に恵まれなければ全く不可能である。
しかしそれにしても福岡は本来古伝武術の盛んなところで最後の古伝部分と言えるものが未だにかなり残っている。今日、日本最高の杖術とも評価される神道夢想流杖術を中心として一心流鎖鎌、一角流十手術などがそれと併合して伝承しているし、また自剛天真流柔術、双水執流柔術、扱心一流柔術、金輪流鎖鎌などなどの珍しい流儀も最後の動脈を保った土地である。
特に神道夢想流、一心流鎖鎌、一角流十手術などは玄洋社の志士が自己の身心錬磨の基盤とした武術であり、また黒龍会の内田良平は自剛天真流の達人であり、そして「内田流半棒術」なるものを創始して神道夢想流系に付加して伝えた。両会の事を小林氏はかなりの頁を駆使して描写しているが、武術面からのアプローチが殆ど皆無であった事は残念であり、武術文化に対する認識の弱さを窺わしめる。
この点は「沖縄論」や「台湾論」でもしかりであり、沖縄に秘伝承した驚異の古伝拳法、唐手の事も殆ど描かれず、台湾における膨大なる中国武術事情も全く描写がない。共産主義を嫌って多くの中華の武術家が台湾に中華の文化を移植しており、これも大変な文化の大移動であったわけなのだけれども。

 

●「チャンネル桜」
ネットを利用して田母神問題や南京問題、従軍慰安婦問題をすこし調査してゆく過程において、「チャンネル桜」なる右翼系(保守系と言うべきか。左翼、右翼と言う意味合いは時代毎の変遷烈しく、厳密な分類には相応しくなくなっている)のチャンネルがあることが分かった。これはケーブルテレビなのか何かなのは、その辺は詳しくないので良く分からないが(現在我は普通のテレビも引いていない状態なので)、ズバリの放送はともかくとして過去の内容はある程度、保存映像資料として別の場所(ネット上)でみれるので比較的幾つかのものを忽ち試聴する事が出来る。
そして驚いた。珍しく正しい事を正しく伝え、そして正論を称える大変奇妙な驚くべき放送局であり、右翼系と言うより正しくライト系である。
こんなものがあると言う事がネット右翼なるものが多く出てきている由因の一つなのかも知れない。

 

●「大高未貴」
正しい事を正しく認識し、正論をはっきりと唱える女性論客として桜井よし子女史が著名であるが、チャンネル桜のキャスターを勤める女論客に大高未貴女史があり、彼女の論説、時評論説が中々良い。洒落の効いた皮肉が結構面白く、痛快でもある。中々の美人でもあり、正に右翼アイドルか……?と思ったが、映像の中に「大高未貴の一本斬り」なるタイトルのものがあり、何と居合業をご披露されていたのである。
やられたのは無雙直傳英信流初傳大森流一本目「初発刀(前)」であるが、ご愛嬌としては中々微笑ましい。土佐傳系ではなく、全剣連系の色がかなりついた業であるが、少なくとも幸い夢想神傳流系ではないようである。下緒作法もある程度(流石に完全ではないと思うが)正しい作法をしておられた。抜き付けは土佐系、正統会系でみられる大開き法ではなく、半向半開系である。残念ながら納刀は土佐傳系の古伝法とは違う、いわば大被り法に近い感じなので、山本晴助系に近しい形である。
三年やって初段……と言う事をいっていたのでやはり全剣連系の居合道部に属した系統を学ばれたのではなかろうか。
こんな人が出て来ると言うのも時代の移りを象徴しているのかも知れず、興味深いとは思った事である。

 

●「司馬遼太郎の劣化論」
司馬氏の「日露戦争以降の日本軍劣化論」なるものを小林氏が紹介しておられるが、司馬遼太郎の論説を読んではいないし、小説も一冊だけ読んで余りにつまらなかったので以降読んだことはない……と言うような記憶がある。先ず文章が下手くそ過ぎて……などと言う様な作家論を述べても致し方ないので暫しおくとして問題は彼の劣化論である。
小林氏はそれを批判している様にも見えるが、少なくとも司馬氏の年齢から鑑みて、昔の日本人を多くみてきた立場、そして長く生きてきた文化人としての自らの所感であったのだろう。その様な推移も含めて昭和以降の軍部も劣化して最悪の戦闘に突入していった……という論なのかもしれない(司馬氏論を未読なので確言は出来ないのだけれど)。
詳細はともあれ、特に多くの理屈はいらないわけであり、確かに日本人は明治、大正、昭和に掛けて確かに劣化し、そして敗戦を迎えて米国の日本弱体化政策はそれに輪をかけた……と言うのが我の所感ではある。中国や韓国の民度の低さが話題になる事も多いが、最近の日本も中々どうして負けてはおらず、日本人も韓国化、中国化しつつあると感じるし全く酷いの一語である。

 

●「死んでしまった日本武道」
「日本の再生の為に礼法教育に是非とも日本武道を学ばして……」もしくは「学校教育に日本武道を取り入れて礼法教育……」などと言う論を唱える者があり、それは効果が全くゼロであるとは我も断じはしないが、現在の日本武道にまともな「礼法」が施行されているかどうかはかなり微妙であり、実際的には酷いの一語である。

 

●21/2/12「生れ変わり」
気骨のある男子、至誠の人士は大東亜の大戦で真っ先に突撃して殆どが死んでしまい、終戦後はその様な者は誰も残っていないのかも知れなかった。臆病で小狡賢いやつが狡猾に生き延び、戦後の日本の政治を司り、日本をここまで貶めてきたのかも……?
実際の所、現代の日本で正統な古伝武術を次世代継がしてゆく事は殆ど既に不可能だろう。ただ突撃して死んでいった者は大楠公の故事に習い、皆「七生報国」を誓って帰らぬ飛行機で飛び立っていった。だとすれば何時の時か日本にその魂は戻って来るに違いない。それが何年後か、何十年先か、また百年を越えるのか霊界事情に疎い我には分からない。しかしそれまで、来るべき時の為に記録やその他、細糸であるにしても古伝武術の本質のある程度の部分を色々な方法論で残して置きたいとは思うのである。

 

●「外道の戦法」
「特攻は自主ではなく強引な強制であり、軍の命令である云々」との論があり、引いては「戦前の日本軍の洗脳」的な発言をなす者までがいる。確かに「特攻隊など外道の戦法」、それは正にその通りであると我も思う。
こんなことは、総てを一元的に解釈する事は出来ず色々なパターンがあった事は当然であろう。
しかし母国を守る為に若い兵士が身命を投げ捨てて突撃する様にする為にそんなに強引な説得や強制、大がかりな洗脳などする必要が、少なくとも敗戦以前の我が日本国における若人たちに対してそんな工作の必要性が本当にあったのかと言う事を我は問いたいと思うのである。
我は神戸出身であり、「ナンコウサン(湊川神社の事。地元の者は総てこの様に呼ぶ)
」の極近隣で育った人間である。楠木正成と嫡子正行との涙の分かれを歌った「桜井の分かれ」にこんな一節がある。
「……父上、如何にのたまうも見捨てまつりて我一人、いかで帰らむ帰られむ。この正行は年こそは未だ若けれもろともに御供仕へむ死出の旅」
この歌の前の部分は正成が「これら自分のみが兵庫に行き、須磨の浦で討ち死にするつもりなので、お前はここから帰れ」と説得したわけであり、この歌はその時の嫡子正行の返答である。
こんな事は日本の若い兵士(正行)の感性として極めて当たり前の事である。
大東亜戦争末期、敗戦の色濃く(そんな事は新聞各紙が如何に伏せて誤魔化そうとしてたとしても皆十二分にわかっていた事だろう。ましてや最前線にて実際に戦っていた兵士たちにおいておや)。しかして本土までに空爆が相次ぎ、膨大な数の非戦闘員、婦女子や老人たちが爆弾にふっとばされて、地獄の炎に囲まれて焼かれて大量に殺されつつあった時代の話である。
爆弾で死んで行く犠牲者の中には自己の父母や祖父母、女の幼友達、またあるいは恋人もいたかも知れない……。
その様な中、戦闘の最前線にいる若人たちの血潮は怒りに沸き立ち、その温度が死の恐怖の水準を遥かに越えてしまう者が多く出たとても何も、全く不思議な事ではないではないか。
その様な状況を前にして、本土への敵の空爆攻撃を一分一秒でも止める為に自己の身命を投げ打って、自主的に空爆飛行機の飛び立つ空母やまた出来れば敵国飛行場にぶちあたってでも止めんとする行為をなすことがそれほど特殊なあり得がたい事であるのか?
右翼は韓国人の本質を嘘つきの卑劣なエゴィストと断じるが、韓国人が歴史的に残念ながらその様な一面がかなりある事は事実であるのかも知れないが、仮令そうであるのだとしても、現代における新大久保駅において、車線に落ちた日本人を助けようとして自らの死の危険を顧みず、車線に飛び込んで亡くなられた若い在日韓国人の方もおられたではないか。
この様な感情の発露は韓国人、日本人を超えた普遍的なもの、いわば人間の本質であると我は思う。

 

●「知性」
瞬間的な他人の危機に思わず自らの危機を省みず救助なさんとする事は人間の本能であるが(この事を孟子は井戸に落ちたる赤子の危機に譬え、その時に生ずる感情を惻隠の情となし、人間性善説を称えたのである)、特攻は緊急救助と言うわけではなく、話はまた別だと言う論があるかも知れない。確かにしかりの部分はあるが、同時進行で本土の同胞が虐殺されつつあった事は事実であり、所詮はそれを直接みているかどうかの差異に過ぎなないのである。故にこそそれをイメージ出来る者とやや出来にくい者とが生ずる事は致し方ない。特攻隊の志願者が存外知性の高い者が多かったと言う事の本質はそこにあるのだと我は思う(それは現代のオウム信者に高学歴の者が多かったと言う事実と同質……ではさらさらなく、全く異質の事象である。こんな比較をなすこと自体が申し訳ない。オウムの場合は単に高学歴のエゴイストであり、よって欲で吊られて騙されたと言うだけであり、全く愚かな事である)。
知識や学問の事ではない……。ただ余り知的能力の低い者は本土における現状が実感としてはイメージできず、よって死の恐怖と言う本能を抑える事が難しかったのではないかとは思うのである。

 

●「情け」
楠木正成と正行との問答は次の様に続く。
「いましをここより帰さんは、わが私の為ならず。己れ討死為さんには、世は尊氏の儘ならん。早く生い立ち大君に。仕えまつれよ国の為め」
正成は、血気にはやり父と同じく玉砕せんことを願う正行を押しとどめて諭し、故郷に強引にも帰らせる。是が余りにも著名な「桜井の別れ」のテーマである。
さすれば特攻隊を教育し、推進した軍部のやり方と話が逆ではないかと言う論があるかも知れない。しかりであり、故に我も「特攻は外道の戦法」と評した。
しかしながら逆の様にみえながら、そうではなく、同じ様な事象がかなり多く存在した事も事実なのであり、そしてまたその奥の心情は同質のものがあると我は思う。
当時血気にはやり、特攻を志願する若い兵士が多くいたと言う事。それに対して特に強引な強制などそれほど必要ではなかった。そして逆どころか全くその通りの様な事例も当時存在した事を先般ネット映像で見ることが出来たのである(それを契機にこの様な駄文をつづっているのだけれど)。
血気にはやり、早く敵艦にぶちあたりたいと願う兵士に、指導教官は「未だ操縦未熟なり」として容易に許可を与えず、しかして心ならずも終戦を迎えてしまったと言う話。
小林氏は指導教官が妻子の犠牲の元に必須では決してないのに自らが特攻をなしてゆく者の話を描いたおられた。終戦を迎えてもなおまた特攻を決行した者もいたし、また終戦の詔を聞いて割腹した者も多数いた。「桜井の別れ」の如くの話も一杯あっただろう。
そんなことは造られた美談などではさらさらない……と我は思う。そもそもそんな必要など全くない。そんなことは日本人として、自然な、極めて当たり前の事ではないか。そんな事も分からないと言うのでは、それは日本人が次第に日本人で無くなりつつある証しであるのか知れない。
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