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●21/3/16「論点の曖昧さ」
「百人斬り問題」そして「南京事件問題」、「従軍慰安婦問題」「沖縄集団自決問題」等、論点、争点が曖昧であり、巧みに論のすり替えがあり、何度やっても解答が出ないと言う袋小路に陥っている様に感じられる。
「沖縄集団自決問題」は「命令の有無」は、個別問題においては必要に応じて探求する事もよいとは思うが、それを全体的な論点に持ってくる来る事はよろしくない。問題は「強制」があったかどうか、そしてその内容である。
命令して自決したとすれば、それはそれで見事な心掛けであり、美談であると我は思う。
また「命令」と言う謂の内容にもかなりの範囲があり、微妙なニュアンスがあり、そこを追求しているときりがない。
だから「命令の有無」云々に余り拘るべきでないと思う。そこに引っかかると本質論に至れなくなる。


●「東中野教授」
東中野教授の『南京大虐殺の証拠写真の検証』を読んだが、論が粗い。最終的な結論はある程度賛成だが、大変に拙い考証、不可解な部分、認識不足、過ちが多すぎる。
ただ、最後の結論、「大虐殺の証明写真は一枚もなかった」は、それは大体はその通りかと思う。
ただ論の立て方が非常に悪いのである。既に我が指摘した彼の著名な斬殺処刑写真の問題点を同書では色々指摘し、贋と判定しているが、論拠は乏しくかなり微妙であると常識的に感じる。兵隊がたまにチャンチャンコ着ても別によいと思うし、また影の角度なども微妙であり、辺りの地形の凸凹などを鑑みると、これで贋と断定できるとは言いづらく、強引過ぎると感じる。兵隊が左足を出しているから云々は全く論外である。
いや勿論贋かも知れないのであるが、曖昧な論拠で否定する事は読者の信頼をなくする事になると思う。
それより先にそもそもこれは最初から「それだけでは虐殺証拠写真にはなり得ない」と言う写真である事を注意しなければならない(「それだけ」の意味は被害者が単なる一般庶民と判定される論拠が別にあれば、の事である)。
他の斬首処刑写真も含めて、その真贋の実際は別として、あり得たとしても別に不思議ではない。これは当たり前の事である。何とならば虐殺否定派も便衣兵などのある程度の大量の処刑は認めているのであるから、この様な処刑場面写真があっても不思議ではない。
処刑が全て銃器よる一斉射撃にて行われた……かどうかは我には分からない。そういう処刑方法もあり得たと思うが、日本の伝統的な処刑法は打ち首であり、それもまた十二分にあり得る方法であり、実際その写真がある。よってそれは確実な「虐殺証拠写真」とは断定できない。いや勿論便衣兵なんぞではなく、単なる市民と言う可能性もないとは言えないし、市民虐殺写真である可能性も否定できないが、しかしその様に判定するする根拠がない以上は証明写真と言う事はできないわけである。その様な断りを前提として考証し、その上で、まだ不審な点があれば、それを指摘すべきであり、その意味で教授の論法は余り妥当ではないと思うのである。
我がこの上の考証を、もしするとするならば、首を打たれる者が比較的従容としており、ある程度の覚悟が感じられる。つまり全く無辜の民を無理やり連れてきて面白半分の首切り……と言う雰囲気はなく、やはりゲリラ掃蕩作戦による処刑の可能性が高いと考えられる……と言う風に論じるだろう(勿論この写真が真であるとしての話であるが)。全ては勿論断言はしないが、しかし少なくとも「虐殺証拠写真」とはなり得ないと言う結論があれば十分である。

 

●「裁判に勝てない理由」
李秀英裁判や沖縄集団自決問題裁判、百人斬り裁判などなど、どちらかといえば右系が負けている事がどうも多い様である。それらの裁判の不当性を訴える声も強いが負けた以上致し方ない。裁判官の問題もあるかも知れないが、これを言っても詮方なく、実の所我にも裁判官の実態、若しくは奥の理由は分からない。
ただこれまで指摘してきた様に多くの右系の論は最終的な結論の正しさはあるが、どうも論説を聞いていると多くの場合論が大変に粗いと思う。はっきりいえば、ちゃんと論点、争点を正しく立てられていない事が多い。この点が問題であり、よって袋小路に迷い込み勝利が得られないのではあるまいか。
田母神論も前提条件がアバウトであり、小林本も考証が大変に粗い部分がある。そして東中野教授も同じであるのをみて、少し右系の全体的なアバウトさを知り、少し、いやかなりがっかりしたのであり、真に遺憾である。もっとしっかりして頂きたい。
その原因は色々あるが、一つ考えられる事は、右系の者は日本の伝統的な事をいいながらその本当に深い所を知らない者が多い。特に武術に関しては酷いものである。
もっともっと正しいものに眼を開いて頂きたいとは思うのである。

 

●「滅びた伝統」
色々な紙面を借りて、日本の伝統の消失の現状を訴えて来たが、余り理解して頂いているとは思えず、逆に色々反論や中傷、悪口雑言罵詈讒謗などを頂く事が多い。殆どが正に便所の落書きで相手にしようとも思わないけれど。
特に現代武道に否定的な立場をとっているので大層憎まれもするし、色々文句も言われる。
伝統武道と言われるものは現代でも確かにあるが、殆どスポーツ、レジャーとして行われているものであり、本当の古典武術とは全く異質であることを知っていただきたいのである。古武道と言われるものも実際的には殆どが現代式古武道である。
戦前はそれでもある程度武道的な立場で行われ、正法を知っている師範もおられたが、戦後はそれらも全て壊滅したわけである。
一つ真実をあげておこう。早い話しが戦前と戦後の剣道では形演武の方向性が真反対になっまっている事は紛れもない事実である。
勿論これは戦前のやり方が正しく、これは江戸期から連綿と受け継がれてた正しい礼法である(勿論昔の史料、絵図史料などからも証明できる)。勿論我も古典通りに演じているが、一般には真反対であり、こちらの方が逆に誤解される事が多い。
こんな超基本的な所が狂ってしまっている現代の武道とは果たして伝統武道といえるのであろうか? 少し考えて頂きたいとは思うのである。

 

●「総てが逆、やっては成らない事」
剣道形の演武方向が逆……それがそれほど問題なのか?……いやこれは大変な事であると我は思う。それは絶対にあっては成らない事。
天席に対してどの方向で演武するのかと言う事に対しては奥意があり、深遠の哲理がある。それは絶対に崩しては成らない部分であり、そこが護られていない以上日本の武術とは言い難い。終戦時を通じ、竹刀競技として復活した時が正に武道としての剣道が完全にスポーツとして墮した瞬間であると我は思う。
古伝礼法におけるその深い哲理は……と説明したい所ではあるが、古伝礼法の奥の玄意は流儀の秘法として伝承されたものであり、安易に公開する事は流石に憚れる。よってこれは各自探求して自得して頂きたい。何に頭で知識をえたのみでは真の理解とは言えない事である。
そしてこの問題は他の多くの現代武道の問題に及ぶ。演武会で門人を四方八方に投げ飛ばして自己の強さを誇示して威張る合気道師範。これも全く戦前の武術哲理とは逆である。
竹刀や刀を跨ぎ、師範席でだらしない格好で足を投げ出す高段者剣道師範連。形を知らない柔道家。試合に負けてふてくされて礼も出来ない柔道選手。稽古礼法の基本も知らず、天席に向かって刀を振るうレジャー系居合道家……。こんなものが日本武術の範疇に入る事かどうか良く考えて頂きたいととは思うのである。


●21/3/27「東中野教授2」
夏淑金裁判で敗訴したとき、東中野教授の書籍は裁判官の傍論によって「学問的価値無し」と評されたと言う。これは全く記する必要のない傍論……でなく、正に暴論であり、たしかにとんでもない事であるとは思うが、しかし内容的にはその様に評されても致し方ない部分がないとはいえない様にも感じられる。
勿論全てがしかりと我が考えているわけではなく、大変に大きな業績と評価したい部分は大いにあるし、「ご苦労さま」と我は言いたいと思う。ただ各論を良く見ると確かに強引な論説が多く、如何なものかと思うのである。
何度も言う様に最後の結論的な部分は我は賛成である。しかしそこに至る前の考証論理が胡乱では読むものに不信感を与えかねないと思うのである。
捏造側の論を論破する為には捏造側論よりも遥かに直く正しい論を提出して捏造側の曲がり、歪みを検出しなければならない。東中野教授の考証本はよい所も多いが胡乱な部分がかなり多いと言う事。これは何としても矯正して頂き、もっともっと正当な論で捏造論をぶっ潰して頂きたいと願う。


●「後の先」
「敵動かざれば我動かず。敵僅かに動けば、それに先んじて我動く」
これは中華の名拳、太極拳極意の著名な言葉であり、日本武術極意もまたしかり。中華武術の言葉を余り遣いたくはないが、古代中華の叡知を本当の意味で正しく保存継承したのは正に日本国であり、中華では逆に失われた中華極意の数々が東洋文化の叡知として日本にこそ保存されている事は事実である。
日本武術では「三ツの先」の教えとして伝わっており、所謂「先々の先」「先の先」「後の先」である。「先々の先」で潰せれば良いがあたり外れが多く、失敗の可能性が高く、また後に禍根を残す事がある。先の大東亜の戦争でも大いなる失敗があった。
やはり極意的なのは「後の先」だろう。敵の動静をよく図り見て無駄な動きはしないこと。無駄な動きをなすとそこに隙が生じて、そこを突かれて死命を制される事がある。
舌戦においては特に注意しなければならない点であり、保守系の論が勇み足で胡乱な論を展開し、そこを覆されている光景を観ることが多く、非常に遺憾には思うのである。
恨みに対しては恨みで返してはならず、また徳で返すことも宜しくない場合があり、多少遠回りになってもひたすら「直」で以て対すべきかとは思うのである。

 


 

 
 
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